「やりがい搾取」という言葉に、防衛的な反応を示す人は多い。
そしてそれは、かなり自然な反応だと思っている。
現実問題として、
やりがいという言葉が、時間や報酬、成果の是正を曖昧にするために使われてきた場面は確かにある。
だからこそ、「やりがい=搾取」という言葉が生まれた。
ここまでは、何も否定するつもりはない。
ただ、その言葉が使われる場面を見ていて、
ずっと引っかかっていたことがある。
それは、
まだ引き受けてもいない段階で、判断が終わっていないか
という点だ。
やりがい搾取は実在すると思っている
まず前提としてはっきりさせておきたい。
やりがい搾取は、実在する。
それは間違いない。
時間が増え、負荷が増え、成果も出ている。
それなのに、
報酬も、評価も、裁量も、是正されない。
その状態が固定化されているなら、それはアウトだ。
それは「役割を引き受けた結果」ではなく、
引き受けさせ続ける構造だからだ。
ここに関しては、議論の余地はないと思っている。
その判断はいつ下しているのか
問題にしたいのは、別のところだ。
やりがい搾取という言葉が使われる場面をよく見ると、
実際にはまだ、
・その役割を引き受けていない
・一度もやってみていない
・結果も是正も、確認されていない
そんな段階で、判断が終わっていることがある。
「忙しいから無理」
「大変だからできない」
「それ、やりがい搾取ですよね」
その言葉が間違っているとは言わない。
ただ、それは検証された結論なのか、
それとも引き受けない状態を守るための言葉なのか。
ここは、切り分けたほうがいい。
役割は理解や納得の先に引き受けられる
以前、一緒に働いていた調剤事務さんがいた。
LINEの処方箋受付を増やそう、という取り組みが始まったとき、
最初に出てきた言葉は、正直かなりネガティブだった。
「忙しいから無理です」
「しんどいですよ」
「みんなにできることじゃないですよね」
特別な反応ではない。
むしろ、よくある反応だと思う。
ただ、何度か一緒に仕事をする中で、
自分が患者さんに案内している様子を見て、
あるとき、その事務さんは最初の一人に声をかけた。
そこに、深い納得や強い動機があったわけではないと思う。
「なんとなく、やってみようか」
それくらいの感覚だったはずだ。
でも、その瞬間に起きたのは、
気持ちの変化ではなく、役割の引き受けだった。
引き受けたあと、人は勝手に学習し始める
一度役割を引き受けると、
人は不思議なほど、勝手に工夫を始める。
その事務さんは、
ただ案内するだけでなく、
その場で送信まで一緒にやってみる、という自分なりの方法を加えた。
結果として、
LINE予約の患者数は営業部で1位になった。
あとから聞いた話では、
「やりがいができました」なんて言葉は一度も出ていない。
でも、移動した自分のところに、
「1位取りました」と、かなり嬉しそうに電話をかけてきた。
言葉にされていないだけで、
間違いなく、手応えは残っていたと思う。
この流れは、特別な人の話ではない。
新しい役割が出てきたとき、最初に出てくるのはたいてい「忙しい」「大変」「無理」という判断で、引き受けたあとになって初めて「どうやれば回るか」という思考が始まる。
引き受けない理由は、だいたい後付けになる
この話を通して言いたいのは、
「引き受けた人は偉い」という話ではない。
人は、引き受けていないときほど、
もっともらしい理由を必要とする。
忙しい。
大変。
無理。
それは嘘ではない。
ただ、引き受けた瞬間に検証可能な仮説に変わることが多い。
環境が変わったわけでも、
時間が増えたわけでもないのに、
できてしまうことがある。
人は、そういう生き物だと思っている。
問いたいのは、判断のタイミングだけだ
もう一度言う。
やりがい搾取は、現実にある。
だから、その言葉に防衛的になるのも自然だ。
ただ、その現実が、
本当に今の自分の周りで起きているのか。
それとも、
まだ引き受けてもいない段階で、
同じ言葉を使って判断していないか。
この記事で問いとして残したいのは、そこだけだ。
やりがいがあるかどうか、ではない。
好きか嫌いか、でもない。
まだ引き受けてもいない段階で、判断していませんか。
ちなみに、コンビニで募金する人ってやりがいが原動力なんでしょうか。
では。
